奥野衆英の舞台が治療的効果を持つとまでは断言できない。しかし不思議なほどに心が安らぎ、劇場を出る頃には、時代のあらゆる困難に立ち向かうための準備が整うのだ。
― フィリップ・ペルソン
『BLANC DE BLANC』フィリップ・ペルソン評
2024年7月6日掲載
2024年7月6日掲載
奥野衆英を手短に定義するとすれば、彼は日本人のマイムアーティストである。しかし彼の作品「Blanc de Blanc」を見た後には、この定義は手短すぎて彼が舞台に一時間で描いた夢のような現実にはまったく合っていないことに気づく。
「日本のマイムアーティスト」という言い方は二つの矛盾するものを掛け合わせた形容に聞こえるかもしれない。というのも、マイムアーティストは、何よりもまず顔で表現するものであるのに対し、奥野衆英の話によれば、アジア人は顔をあえて動かす表現よりも仮面を好んで使うからだ。彼らは表情を誇張したり戯画的にすることは好まない。だとすると奥野衆英は厳密にはマイムアーティストではない。彼は何よりもジェスチャー芸術を実践しているのだ。 それもそのはず彼の経歴を辿れば、1975年に日本に生まれたこの男は、この23年間、フランスと母国を行き来して生きている。彼はマルセル・マルソーの足跡をたどってフランスにやってきた。サスペンダーで吊った白いズボン、黒いシャツにグレーの小さな縁無し帽という彼のキャラクターは、彼の師の「Bip〔マルソーが作品中で演じた彼の代名詞でもあるキャラクター〕」を彷彿とさせる。〔なお、実際にはBipはそのようないでたちではない。〕 しかし似ているのはそこまでだ。マルソーがいつも何かをはっきりと示してしていたのに対し、奥野衆英は浮遊している。マルソーはピエロのようなことまでできたが、彼は違う。彼は喚起させ、提案する詩人である。彼は抽象画家なのだ。スケッチをし、色のタッチを選ぶが、この時彼は絵に決定的な意味を持たせることはない。 それゆえ、「Blanc de Blanc」を構成する6つのモーメント(そのうちの一つ、「Blanc de Blanc」が作品全体のタイトルとなっている)には、マイムに内在する暴力性が決してない。Bipのマルソーは怒ったり泣いたりすることも出来たが、奥野衆英は優しさと繊細さを選んだ。建築家・石塚菜々子がデザインした白い大きな風船が繊細に散りばめられた舞台で、決して唐突ではない彼の動き、物静かな動きに、私たちは少しずつ魅了されていく。フランコ・ジャポネ、日仏両国文化のもの、と言える彼の作品には、すべてが気品とユーモアに溢れている。 ポエティックな“Heure Bleue(トワイライト・アワー)”から始まるそれぞれのモーメントのタイトルを彼が黒板に書くとき、漢字を描くのかと思いきや…違った!ラテンのアルファベットをチョークで、東洋の書道家のように書いている。 奥野衆英の舞台が治療的効果を持つとまでは断言できない。しかし不思議なほどに心が安らぎ、劇場を出る頃には、時代のあらゆる困難に立ち向かうための準備が整うのだ。 _____ フィリップ・ペルソン (ドラマトゥルグ、演出家、俳優。カンパニー・フィリップ・ペルソンを設立。オリジナル作品から古典、現代作品など広いジャンルの上演を行う本カンパニーはアヴィニヨン演劇祭の常連参加劇団である。2009年から2015年までパリのルセルネール劇場の芸術監督を務めた後、同劇場内に俳優養成学校を設立している。) (翻訳・田川千尋) Critique Blanc de blanc de Shu OKUNO / froggy's delight(原文) |